先日、ある基幹医療機関で講演する機会がありました。 そこでは、カフリークテストなど可能な対策を講じることが医療的準則になりつつあり、それが実施されないことは致死的なリスクを無視したと判断される可能性が高くなっていることをお話しました。しかし、これらの対策はリスクを完全に回避できるものではありません。まず必要なことは、上気道狭窄(閉塞)の発生に可及的速やかに気づけることと、迅速な対応ができることです。
2019年10月に私が委員長を務める委員会が「自発呼吸アセスメント指針」を作成し、そのなかで「上気道狭窄(閉塞)」に言及しています。つまり、学会が正式に公開した文書に初めてそのことが記されたことになります。是非、ご一読頂き、呼吸療法のなかの悲惨な上気道トラブル事故を駆逐することにご協力ください。
Ⅰ.はじめに
本件では、薬物中毒への対応と蘇生後脳症の部分に関しては適切に対応されていると考える。本鑑定意見書では、抜管後の上気道狭窄とその対応についてのみ言及する。
本件で発生した上気道狭窄の原因が喉頭浮腫であることは、被告病院の診療録および病状説明でも述べられていて、この点は原告と被告の争点にはなりえないと判断する。
また、被告病院の回答にも示されるように、上気道狭窄が高度になり極端な低換気状態に陥ったか、あるいは、その後の経過のなかで上気道閉塞によって無換気状態に陥ったかのいずれかの状況になったことも明白である。そして、これらによって低酸素血症、高二酸化炭素血症、アシドーシス(酸血症)が発生して心停止に至ったことも争点ではないと考える。
同様に、その後に認められた中枢神経障害の原因についても、低酸素血症および循環停止による全脳虚血が主たる原因であると判断することに対して、基本的に原告と被告の両者の意見に大きな隔たりはないと判断する。
そして、気管チューブが留置されている抜管前の状態では、本件患者の肺酸素化能および換気能力に問題がなかったことが確認されている。すなわち、本件において認識すべき重要な事実は、上気道狭窄によって低換気に陥った時点において何らかの手段で気道が確保され、換気が再開されていたならば、不幸な障害を併発することは無かったということである。具体的に述べると、自発呼吸運動があり、極端な低酸素血症に陥る前に、気管切開が実施されていたならば、合併症もこの鑑定意見書も存在していないはずであり、このことは十分な蓋然性をもって推定できる。
Ⅱ.鑑定事項
したがって、本件訴訟上の争点で、鑑定に求めるべき点は以下の3点であると考え、これらについて、鑑定に使用した資料を示し、考察し、鑑定結果を述べる。
Ⅲ.鑑定資料
資料を抜粋して提示する。ただし、事実関係はそのままに、司法関係者が内容を理解しやすくするための最小限の改変(翻訳程度)を加えている。
医師2号用紙 |
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26日 |
本日午前中意識の改善あり |
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右上肢:空中へ命令にて持ち上げ可能 |
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AM |
10:00 |
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10:30 |
抜管可能と判断し、抜管した | |
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抜管直後より喘鳴(stridor)あり、陥没(陥凹)様呼吸様式 | |
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↓ | |
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再挿管決定 | |
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再挿管を試みるも内径7.5mmの気管チューブが声門通過せず | |
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バッグマスク換気するも呼吸音微弱 | |
↓ | ||
10:41 |
徐脈 アドレナリン(エピクイック1A)投与 | |
↓ | ||
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内径7.0mmの気管チューブにて気管挿管試みるも挿管困難 | |
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心停止,心肺蘇生,輪状甲状靭帯切開、断続的に大腿動脈触知 | |
10:56 |
心拍再開 | |
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瞳孔径(左/右) 8.5mm/8.5mm、対光反射(左/右)無/無 | |
12:10 |
集中治療室(ICU)へ | |
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瞳孔径(左/右) 3.0mm/3.0mm、対光反射(左/右)+/+ | |
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2日間程低体温療法を予定 | |
看護記録記事(電子カルテ版) |
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6:30 |
膝立て・上肢挙上可、頷きにてコミュケーション可。 |
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腹部の圧痛消失したとのこと。 |
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9:40 |
問いかけに対し、頷きにて反応あり。オーダー可。呼吸苦・腹痛ないと。 |
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9:50 |
全身清拭・寝衣交換・陰洗実施。 |
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10:00 |
血糖測定(103mg/dl) |
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10:30 |
○○Drにて抜管。狭窄音強く、SpO2(経皮的酸素飽和度)80%台へ低下し、意識レベル低下。 |
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ベッドの頭部を挙上するもSpO2 80%台。バッグバルブマスク(BVM)にて換気するもSpO2立ち上がらず。 |
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10:35 |
ミダゾラム5mg(ドルミカム1/2A)静注。再挿管試みるも入らず。四肢冷感・冷汗著明。 |
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10:40 |
心拍数(HR)32回/分へ |
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10:41 |
アドレナリン1mg(エピクイック1A)静注。心停止にて■■Dr・●●Drにて胸骨圧迫開始。 |
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10:43 |
パルスチェック 脈触れず。 |
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10:45 |
パルスチェック 脈触れず。アドレナリン1mg(エピクイック1A)静注し、胸骨圧迫再開。 |
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10:47 |
パルスチェック 脈触れず。細胞外液輸液(酢酸加リンゲル液:ソルアセトF)全開投与。 |
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10:49 |
パルスチェック 脈触れず。アドレナリン1mg(エピクイック1A)静注。 |
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10:51 |
パルスチェック 脈触れず。胸骨圧迫再開。 |
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10:52 |
0.5%キシロカインにて局所麻酔後△△Dr、□□Drにて緊急気管切開実施。 |
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気管切開チューブ内径7.0mm挿入 |
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10:54 |
パルスチェック 脈触れず。胸骨圧迫再開。アドレナリン1mg(エピクイック1A)静注。 |
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10:56 |
パルスチェック 鼠径部で大腿動脈触知可能。 |
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10:57 |
呼吸器にて換気開始 |
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10:58 |
足背動脈触知可能 |
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11:04 |
瞳孔径8.5mm/8.5mm、対光反射(無) |
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11:10 |
▲▲Dr.にて鎖骨下静脈へ中心静脈カテーテル挿入(16cm固定) |
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11:18 |
メイン輸液流量60ml/時へ |
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12:10 |
集中治療室入室(ICU4ベッド)、メディサームにて低体温療法開始。 |
病状説明の記録(翌月2日) 説明:○○医師 (〇〇長・副〇〇長・看護部長・事務長同席)
・・・・。
その後、全身状態は安定し、肝不全をはじめとする種々の機能障害を併発する事もなく経過しました。呼吸状態も安定したため、第5病日(26日)に人工呼吸器より離脱し気管チューブを抜去することにしました。26日の朝の回診で、①意識がほぼ清明であること(呼名に対して開眼・肯きを認めた)、②筋力低下がない事(膝立て・上肢の空中での保持可能)、③胸部レントゲン撮影上肺炎や無気肺などの合併がない事、③肺の酸素化能の低下がない事、を確認して10時30分に気管チューブを抜管しました(抜管)。その際、医師一名、看護師二名をベッドサイドに配置して抜管操作を施行するとともにその後の〇〇様の状態観察を行いました。
しかしながら、抜管直後より喉頭浮腫と思われる上気道狭窄症状が出現し、呼吸補助筋を使用した陥没呼吸が著明となり、用手気道確保下に純酸素によるバッグマスク換気を施行しても動脈血酸素飽和度は85%前後と低値が持続したため、10時33分再挿管を決定しました。
以下、時系列に従って所見・症状と処置について記載します。
10時35分 |
鎮静剤(ドルミカム5mg静注)投与下に内径7.5mmの気管チューブの挿入を試みるも、喉頭浮腫のために挿管 |
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し得ず(この間、下顎挙上法による用手気道確保を純酸素によるバッグマスク換気を持続しておりましたが、 |
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動脈血酸素飽和度は80%台後半の値を推移したままでありました)。 |
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10時37分 |
再挿管(内径7.5mm)を試みるも挿管し得ず。応援医師を要請。動脈血酸素飽和度は70%台後半に低下すると |
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共に心拍数も減少。 |
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10時40分 |
心拍数32回/分となったため、アドレナリン1mg静注施行。 |
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10時41分 |
モニター上心静止、大腿動脈の拍動も触知不可となった。応援医師3名と共に胸骨圧迫を含む心肺蘇生を開始。 |
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10時45分 |
アドレナリン1mg静注。 |
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10時47分 |
内径7.0mmの気管チューブを試みるも挿管し得ず。 |
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10時49分 |
アドレナリン1ng静注 |
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10時51分 |
緊急気管切開術(輪状甲状靭帯切開)を行い、内径7.0mmの気切チューブを気管内に挿入し気道確保。 |
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10時54分 |
アドレナリン1mg静注。 |
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10時56分 |
自己心拍再開、大腿動脈の拍動も触知可能となった。 |
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その後、循環動態は安定し、現在(28日)は昇圧剤投与なしに循環維持が可能となっております。 |
耳鼻科 〇〇医師 診察(〇月〇日)
28日CTでは喉頭蓋の腫大が疑われますが、周囲に膿瘍の形成なく原因は定かではありません。
回答書 ○○○○○○代理人 弁護士 ■■ (〇月〇日)
・・・・。
(2)抜管の判断について
① 本件患者は長期挿管患者ではなく、気道や頚椎の外傷や術後ではないので、抜管後に再挿管が困難となるような喉頭浮腫は全く想定しておりません。・・・・・
・・・・・・・。
(3)本件においては、抜管前に喉頭浮腫発生の危険があるとは全く想定していなかったことから、その評価のための具体的な措置は取っていません。
2 抜管後の処置について
・・・・・。
さて、お尋ねの件ですが、本件では輪状甲状切開が10時52分になった理由は、切開を行うための器具が病室になく、取りに行く必要があったからでありますが、モニター上心電図がフラットとなった10時41分には器具を取りに行く手配をしており、その準備と併行して再度挿管の試み、胸骨圧迫開始、アドレナリン投与という一連の処置を実施したことは全く問題が無かったものと考えております。
一般に、換気不全による低酸素血症に陥った場合、人体は、消化器や運動器への血流を減少させ、脳や心臓といった生命維持に不可欠な器官への血流を増やすという反応をしますので、換気不全に陥った直後に心電図上の電気的変化が全く見られないフラットという状態に陥ることは極めて稀です。本件患者の場合、動脈血酸素分圧が抜管前には138.0mmHgと高かったにもかかわらず、心電図が急激に徐脈からフラットに落ちていること、抜管後に酸素飽和度も急激に低下していることから、気道が完全閉塞に近い状態になったことは間違いなく、心電図上波形がフラットになった時点で既に脳にも相当なダメージが生じていたことが推測されます。
もっとも、貴職らとしては、抜管する際には輪状甲状靭帯切開のためのキットを準備しておくべきだという主張をされるものと思いますが、たとえば、大腸ファイバーを実施している際に患者が突然心筋梗塞の発作を起こしたとして、ファイバーを行う部屋には除細動器がなく、取りに行くための時間除細動が遅れ(因果関係の有無はとにかく)患者が死亡した例において、当該患者について心筋梗塞の発作を起こすことが全く予測できないのであれば、除細動器を備えずにファイバーを行ったことが問題になる余地はありません。
前述しましたように、本件患者は長期挿管患者ではなく、気道や頚椎の外傷や術後でもないことから、再挿管も出来なくなるほどの完全な気道閉塞に至るような喉頭浮腫が起きることは全く想定外であり、予見不可能な事態であります。(既に述べた通り、抜管前に必ずリークテストを行うべきという医学的コンセンサスはありません)。
Ⅳ.鑑定資料についての考察
まず、基本的な考えとして、上気道閉塞(窒息)は致死的な病態であり、陥った場合には迅速で適切な対応が必要であることは論を待たない。すなわち、上気道閉塞は呼吸管理において最大のリスクであると言っても決して過言ではない。
窒息において呼吸停止・心停止に至る過程は一般的に次のように言われる。まず無症状期(通常1分以内)から始まり、 呼吸困難期(2分~数分)、 無呼吸期(2分程度)、 終末呼吸期(1分程度)で呼吸停止に至る。このあと心停止までの期間は、状況によって大きく異なる(数分~数十分)といわれるが、通常の酸素消費ではほぼ数分で心停止になる。つまり、窒息が発生すると、早ければ10分程度で心停止になりうる。そして、窒息後15分頃には大多数が心停止もしくは高度除脈・心室細動に陥り、臨床的に心停止状態になる。
われわれが主催する日本呼吸療法医学会セミナーでも、上気道閉塞は10~15分で心停止に至る非常に危険な病態で、迅速な対応が必要であると指導している。
したがって、医療現場では上気道閉塞もしくは上気道狭窄が発生した場合の重大性に鑑み、常にそのリスクへの対応が求められていると考えるべきである。
【1】本事件での危険予知の可能性について
1)気管挿管の期間と抜管後の喉頭浮腫の関係
本件は〇月21日に当該病院に搬送され、当該施設の救急外来(ER)において23時20分に内径7.5mmの気管チューブを経口的に気管挿管されている。本件では肝障害も顕著でなく、頚部疾患もないことから上気道狭窄および閉塞の原因は、気管チューブ抜管後の喉頭浮腫が原因であると推測する。このほかにも気管挿管時の喉頭部分への機械的な傷害なども原因として挙げることができるが、カルテ上に問題となる記載はない。
気管チューブを抜管したのは26日であり、本例では4.5日間、正確には107時間10分の挿管期間が存在した。この挿管期間は決して短い期間とはいえない。たとえば、抜管後の喉頭浮腫を検討する多くの臨床研究では、挿管期間を長期とする基準を36~48時間以上としていることからも分かるように、107時間は長期の挿管期間に該当する。実際にわれわれの施設をはじめ多くの施設で、48時間程度を目安に長期気管チューブ留置期間と判断して種々の対応を講じている。
気管チューブの長期留置後の喉頭浮腫と気道狭窄の発生頻度を理解してもらうためにひとつの報告を紹介する。
(Darmon JY,et.al : Evaluation of risk factors for laryngeal edema after tracheal extubation in adults and its prevention by dexamethasone. A placebo-controlled, double-blind, multicenter study. Anesthesiology.1992 Aug;77(2):245-51)
このように抜管後の喉頭浮腫は決して稀な合併症というわけではなく、日常的に気管挿管を実施する麻酔科医、長期人工呼吸管理を実施する集中治療医にとっては平素から注意を払うべき合併症である。そして、狭窄が高度になれば、窒息の危険性が高くなり、再挿管も困難になることは言うまでもない。
したがって、本件は100時間以上の挿管期間があり、「長期挿管患者でない」と断定することはできず、喉頭浮腫が発生する相応のリスクが存在していたと推定する。そして、それに比例して上気道閉塞の発生する危険性も高くなっていたことが推測される。
2)上気道の狭窄と閉塞
気道狭窄は閉塞ではないので、狭窄の時点では換気ができると考えるのは誤りである。内径8mmの気管チューブで呼吸するときの気道抵抗を1とすると、半径が1mm減少して内径6mmになると、ポアズイユの定理から気道抵抗は3.1倍に増加し、半径が2mm減少して内径4mmになると16倍、そして半径1mm内径2mmになると気道抵抗は256倍に急増する。気流が層流でなく乱流である場合にはさらに抵抗は高くなる。したがって、内径2mmの狭窄は自発呼吸ではほぼ窒息と言っていい状況であることが理解でき、喉頭浮腫が進行すると呼吸困難は一気に増悪する。したがって、呼吸困難感が増悪する兆候は非常に危険で、窒息に至る危険性が高いと考えて迅速な対応が求められる。
本件では抜管後11分という短時間で心停止に至っていることから、極度の低換気もしくは無換気状態が抜管直後から発生していたと考えられる。したがって、非常に重篤な喉頭浮腫が抜管前から存在していた可能性が示唆され、抜管と同時にカーテンを閉じるように気道閉塞に陥ったと考える方が妥当である。そのことを示唆する傍証として、本件では抜管の僅か3分後の10時33分には再挿管を判断しなければならないほどの危険な状態に至っていた経過が挙げられるほか、その2分後の35分に気管挿管がすでに不可能になるほどの喉頭浮腫が存在していたことも挙げられる。
一方、チューブによる圧迫が抜管で解除され、圧迫部分が徐々に膨化して狭窄が生じる場合には、抜管直後には呼吸困難感や喘鳴(ストライダー)はむしろ認めないことが多く、徐々に呼吸困難が出現して悪化する。そのあとに気道狭窄から閉塞に至るような緩徐な経過では、11分で心停止に至る換気不全を説明できない。このような喉頭浮腫は過大サイズの気管チューブ挿入やチューブの偏在などが原因となることが多い。その場合、抜管直後の症状は顕著ではなく、徐々に増悪することが通常であり、本件経過とは異なると考える。
長年麻酔や集中治療に専従する多くの医師が、気道狭窄の悪化にともなって急速に進行する呼吸困難を眼前にして、冷や汗を流す経験、修羅場をくぐる経験をしている(私見)。その原因のひとつはこの急速な換気不全の進行である。
そして、再挿管を試みて失敗すると、喉頭鏡の機械的刺激も加わって喉頭付近の浮腫をさらに重篤化させる結果となりやすく、再挿管の試みを繰り返せば繰り返すほど状況は悪くなる。同じく喉頭浮腫を来たす疾患で、上気道閉塞の危険性が高いアナフィラキシー性の急性喉頭浮腫や感染性の急性喉頭蓋炎では、喉頭鏡を使用して気管挿管を試みる場合には気管切開の準備のもとに行うべきであるとさえいわれる。本件はこれらに匹敵する重症の喉頭浮腫が存在していたと考える。
3)気管切開
全身麻酔では、予定された麻酔症例のうち挿管困難・換気困難で気管切開に至る率は低く、海外では10,000件に対して0.01~2件といわれる。わが国の一般的な大学病院の年間の全身麻酔症例数を5,000件と仮定して、上記海外の気管切開率を適応すると、1件/1年~1件/20年にという頻度で気管切開が実施されることになる。仮に、適切に気管切開を実施することが出来なければ、本例のごとき重大な事故もこの頻度で発生する試算になる。
たとえ20年に1件であっても、わが国全体でみると(日本の年間麻酔件数は100万件/年と言われる)、最低でも毎年1件が予定麻酔症例に予期せぬ気管切開術が実施されることになる。最大に見積もると各都道府県に約2件/年の頻度で予期せぬ気管切開が実施されることになる。そして、集中治療室や救急部での挿管・抜管まで含めると、さらに多くの予期せぬ気管切開が実施されていることになる。
重ねて述べるが、これらに対して時宜を得た適切な緊急気管切開術が実施されなければ、致死的あるいは本件のような重大な合併症を伴う事故に確実に発展することになる。
このために麻酔科医や集中治療医は気道困難症に対する知識を持ち、緊急気管切開術の技能も習得し、そして、その能力を維持しなければならないという考え方が必然的に生まれた。実際に先進的な活動で知られるアメリカ麻酔学会(ASA)は1990年代当初から換気も気管挿管も出来ない危険な状態であるCICV(Cannot Intubate Cannot Ventilate)を麻酔科医が回避できるようにするためのDAM(Difficult Airway Management)のアルゴリズムを発表・公開し、迅速で適切な対応を実施できるように指導している。このようにしてDAMという概念が確立し、周知されるようになり、近年では麻酔領域だけでなく、日常的に人工呼吸管理を実施する集中治療や救急領域において、経皮的な緊急気管切開術の講習を中心にDAMセミナーが積極的に各地で実施されるようになっていて、上気道閉塞による事故は減少傾向が認められ始めているように感じるが、本件のような事故が毎年報告されているのもまた事実である。事実、本件の僅か9ヶ月前に近県で同様の事件が発生している。
長期留置チューブの抜管後の喉頭浮腫によって、気管切開が実施される頻度については、適当な統計を発見できなかったが、施設間には大きな差があると思われる。これには各施設の気道管理能力も大きな要因となっているであろうが、気管切開に移行する診断基準も定まっていないことにも起因していると想像する。ただし、短期よりも長期で喉頭浮腫の発生頻度が高いことからも、短期留置と比較すると長期留置症例では気管切開に移行する率は当然高いことが推測される。
4)気管切開手技
気管切開術には技術的に大きく分けて外科的な気管切開術と経皮的な気管切開術の2種がある。外科的な気管切開術は従来から行われてきた手法で、比較的大きめの皮膚切開および組織剥離を行う必要がある。この外科的な気管切開術に対して、ガイドワイヤーを使用した経皮的な気管切開は手技が容易で、従来の気管切開ほど熟練を要しないうえに短時間で完了でき、創が小さく剥離操作がほとんどないために、出血や感染のリスクも少ない。このように経皮的気管切開は低侵襲的で重症患者に適しているとする報告が多く、麻酔・集中治療領域ではすでに標準的な気管切開術となっている。
一般的に使用される経皮的気管切開キットとしては国内では数種類が市販され、3社(ポルテックス、クック、コヴィディエン)の製品がほぼシェアを独占する。これらはいずれもが予定された気管切開術に適応し、緊急気管切開用ではない。しかし、緊急用ではないこれらのキットを使用した気管切開術でも、手技自体に要する時間は1.5~4分程度と報告されるように短時間である(Cianchi G)。わが国でも2002年の時点ですでに5分余りで完了すると報告されている(第24回日本呼吸療法医学会総会 野口隆之会長:大分医大麻酔学講座)。
一方、緊急気管切開キット(経皮的)は、同様にガイドワイヤーを使用するが、輪状甲状靭帯(もしくは間膜)で気管切開をより短時間で行う方法である。輪状甲状靭帯は頚部触診で位置を確認しやすく、気管に到達しやすい解剖学的特性を有する。このために経皮的・外科的問わず、時間的余裕のない緊迫した状況下での気切部位として選択される。これに対して、上述の緊急用でない経皮的気管切開術は、喉頭から少し離れた第1-2気管軟骨間、もしくは第2-3気管軟骨間でおもに気管切開され、長期的なチューブ管理が行いやすい位置を選択できる点で異なる。
経皮的緊急気管切開術の手技は簡単で、①喉仏の下端に位置する輪状甲状靭帯の直上で、皮膚にほぼ垂直に刺入針を刺入する、②極短い距離で気管内に到達して、刺入針から気管内の空気が引けるようになる、③この刺入針からガイドワイヤーを気管末梢に向けて挿入し、④ガイドワイヤーをそのままに刺入針をワイヤーから抜き取り、⑤ガイドワイヤーにダイレーターと気管切開チューブを一緒に返し、⑥気管切開チューブを残して、ダイレーターとガイドワイヤーを抜去すれば終了である。所要時間は1分以内である。
5)上気道閉塞のリスク想定
気管挿管が実施された症例には、全例に上気道閉塞をはじめとする何らかの上気道トラブルのリスクが存在すると考えるべきである。いかに問題なく気管挿管され、なんら問題なく管理できていたとしても、抜管後に上気道トラブルが発生するリスクは完全には払拭されていないと考えるべきである。とくに上気道閉塞などの致死的なトラブルは常に頭の片隅にでも想定しておくべきで、可能性を全く想定しない場合には、時宜を得た適切な対処を打つことが困難になる危険性が高くなる。
この種のリスクは医療現場に限った特別なものではない。いかに安全に思えても、死亡事故が起こるようなリスクに対しては、常に危機を想定して対処しておくことは、いまではすでに社会通念になっている。たとえば、自動車・道路業界では、いかに広く、いかに交通量のすくない道路であっても、いかに熟練者であっても、すべての運転者にシートベルト着用が義務付けられ、死亡事故の回避を図っている。さらに、もっとも厳しいリスク管理を実践する航空・宇宙業界では、トラブルに発展しうるミス(mishaps)の時点でインシデント分析し、対応を講じている。ミスを誘う似た形状のダイヤルやレバーは、形状を変えるといったハード・デザイン面で対応を図ったり、実際の手技の向上(technical skill)で安全を図ったりするほか、ミスに至る思考パターンの分析を行って改善を図っていくnon-technical skillにも範囲を広げて、安全管理を推進している。現在では、医療現場にもこのような考え方が導入されてきている。
non-technical skillを提唱する航空パイロットのBromiley氏は、挿管困難症による医療事故で妻を失い、そのことを分析した“Have you ever made a mistake?”を発表し、医療事故防止に取り組んでいる。その中で彼は麻酔科医達が正しい対応を知りながらも、パニックに陥っていく様子を克明に記している。本件では心理的な部分までは鑑定し得ないが、共通する事故発生の素地があった可能性が示唆される。
すなわち、これらの対応は例外なくリスクを想定しているからこそ、トラブルを回避するマネジメントが可能となっている。言い換えると、リスクマネジメントはリスクを想定することから始まる。
したがって、本件では喉頭浮腫が発生することを想定外に置いたところに、この事件最大の問題点が存在していると鑑定人は指摘したい。この問題の答えを、EBMが備わった文献や権威あるガイドラインに見いだそうとしても困難であると思われ、このリスクが想定されるべきものであるか、想定自体が到底不可能なものであったのかは、最終的に司法の判断に委ねることになるであろう。
しかしながら、鑑定人の意見としては、本件には気管挿管操作、気管チューブの留置、5日間という短くない留置期間、体液バランスに影響を与えやすい体外循環を実施した重症患者、女性に発生しやすい喉頭浮腫の特性などの諸状況が存在し、これらと喉頭浮腫の間に統計学的に有意な因果関係を証明できなくても、すべては喉頭浮腫に関連する項目であり、喉頭浮腫は想定しうるリスク、あるいは少しでも想定しておかなければならないリスクであると判断する。
そして、リスクを想定できれば、そのリスクに対する対応は自ずと決まってくる。
【2】気道閉塞の回避のための方策
抜管時には喉頭浮腫および上気道閉塞の危険性がより高いものなのか、あるいはそれほど高くないものなのか、一定の評価をしておくことには価値があると考える。もし、リスクが高いと判断すれば、緊急気管切開キットをより近くに置くなどの対応によって、さらに迅速な対応が可能になる。
抜管後の気道閉塞のリスクを回避するために多くの方法が報告されている。ただし、いずれの手段が最良か、確証(EBM:Evidence Based Medicine)が得られているか、いずれの時期に実施するのが最適か、などは全く定まっていないのが現状である。しかし先述したように、コンセンサスが得られたものがないからと言ってリスクの評価と回避の方策を講じなくてよいということにはならない。そこで、いくつかの方策を挙げる
1)カフリークテスト
成人用気管チューブの先端外周には、風船状のカフと呼ばれる部分があり、人工呼吸器から送り込まれた吸気ガスが気管壁とチューブの間隙から漏れないように工夫されている。もしカフが気管壁とチューブの間隙を十分にシーリングしなければ、吸気ガスが漏れて換気量の減少を招くことになる。この漏れのことをカフリーク(カフ漏れ)という。
喉頭浮腫が高度になると、気管壁とチューブの間隙が無くなり、カフをデフレート(脱気して縮小させること)しても、カフリークが生じなくなる。この現象を利用して、抜管前にカフをデフレートして吸気ガスのリークがあるか否かを検討することで喉頭浮腫の存在の有無を占うのがカフリークテストである。
抜管後の喉頭浮腫や気道閉塞を予測するうえで非常に有用な手法であるとされる(Jaber S. Intensive Care Med. 2003 Jan 29(1))。 一方で、特異性に乏しいとする報告があることも事実であるが、全く無用のテストかと云うとそうではない。
このカフリークテストについて、私達はつぎのように考えて本テストを実施している。
以上のような観点から、本テストを実施している施設も少なからず存在するように推測する。また、抜管後の喉頭浮腫に対するステロイドの抗浮腫作用を検討した比較的最近の報告(Chao-Hsien Lee Crit Care. 2007; 11(4))のなかでも、カフリークテストは喉頭浮腫の評価法として活用されており、臨床的な意義が全くないというわけではない。
本件では、抜管後に急速に気道閉塞に陥っていった可能性があることはすでに述べたが、仮にカフリークテストを抜管前に実施していたならば、リークを認めなかったか、有意に少ないリーク量に止まった可能性が高く、喉頭浮腫および気道閉塞を疑って適切な対応を準備できた可能性があると推測する。
2)内視鏡的評価
喉頭浮腫の存在が疑われる状況が存在する場合、たとえば、長期挿管、頚部操作、乱暴な気管挿管、太すぎる気管チューブ留置、循環障害、低栄養などの浮腫を来たしやすい病態、解剖学的異常などがある場合には、抜管前に気管支ファイバーもしくは耳鼻科用の喉頭ファイバーで喉頭の観察を行って、喉頭周囲を観察し(気管支ファイバーであれば気管内の評価も同時にしておく)、喉頭浮腫および気道閉塞のリスクを内視鏡的に評価する。長期気管チューブ留置症例の抜管直後のルーチン評価法として行われることが多いが、リスクが高いと評価される場合には抜管の前と後にそれぞれ実施される。実際にわれわれの施設や京都府立医大ICUなどでは48時間程度を目安に抜管の前後で内視鏡的な評価を実施している。
近年の気管支ファイバースコープは、技術革新によって外径は細くなり、しかも先端に超小型高性能ビデオカメラが内蔵されるものが一般的になっている。その汎用タイプの外径は5mm程度で、細いものになると外径2.8mmのものが市販されている。2.8mmになると耳鼻科用のテスティングファイバー(外来で麻酔なしに喉頭を観察できるタイプ)に匹敵する細さで、鼻腔から容易に喉頭を観察でき、痛みや出血を伴うことはほとんどない。
実際に気管支ファイバーで抜管後の喉頭浮腫を検討した報告では、136例(平均気管チューブ留置期間:3日間)の抜管後の喉頭を内視鏡的に評価した報告では、何らかの喉頭の傷害は73%に観察されている。そして、18名に喘鳴(ストライダー)が認められているが、これらの67%に喉頭浮腫が観察され、喉頭浮腫がすべて喘鳴の原因とはいえないまでも、喘鳴と喉頭浮腫には有意な関係があるとしている。
抜管前の喉頭の内視鏡的観察では、気管チューブが喉頭、特に声門部・前庭部に存在するために、この部分の観察は少々困難である(まったく評価できない訳ではない)。しかし、重篤な喉頭浮腫が存在する場合には、通常、披裂軟骨部・喉頭蓋などにも非常に高率に浮腫が確認される。本件では、緊急気管切開後2日間が経過した28日のCT所見において、気管チューブが喉頭にすでに存在しないにもかかわらず、喉頭蓋の腫大が確認されている。再挿管時の喉頭鏡の物理的刺激によって発生した可能性もあるが、抜管前から重症の喉頭浮腫が存在していたことも否定できない。内視鏡を抜管前に実施していたならば、これらの鑑別および喉頭浮腫の有無を確認できた可能性がある。
そして、浮腫が認められる場合には抜管に際して、慎重の上にも慎重を期することが求められる。すなわち、抜管を見合わせるか、抜管前に気管切開を実施して一時的気管切開チューブからの換気に切り替える、あるいは抜管後に直ちに気管切開できる準備を怠らないなどの慎重さが求められる。
本件のような抜管後に直ちに気道閉塞に至るような重篤な喉頭浮腫が存在する場合には、抜管前の内視鏡的な喉頭の評価で、気道閉塞のリスクが明らかにされた可能性が高いと推測する。
3)チューブエクスチェンジャー(TE:Tube exchanger)の活用
TEはairway exchange catheter(AEC)とも云われる細長いチューブで、比較的硬い樹脂性の素材からなり、気管チューブより細く、気管チューブの2倍以上の長さがあり、TEのチューブ内は空洞で、両端は基本的に開放されている(端の形状は様々)。TEは文字通り気管チューブの入れ替えに使用される器具である。使用方法は、気管チューブを抜管するまえに、TEを気管チューブ内に挿入し、TEを気管内に残したまま気管チューブを抜管し、次にTEを芯に新しい気管チューブを挿入して、安全に気管チューブの入れ替えを実施する。さらにTE内は空洞であるために、再挿管にいたるまでの間にこのチューブから酸素を送り込んだり、ジェット換気(TTJ:Trans-tracheal jet ventilation)を実施したりすることが可能である。
このTEはチューブの交換にだけ使用するのではなく、もし再挿管になった場合に備えて、すぐに再挿管する場合の気道確保のためのルートとしても活用される。すなわち、抜管に際して喉頭浮腫などで再挿管が必要になる可能性がある症例や、挿管時に挿管困難であった症例に対して、抜管後もTEだけを気管内に留置し、再挿管の可能性が無くなるまでだけ留置される。このときTEは口角に固定されたまま置かれる。英国のガイドラインでは、挿管困難であった症例に対するTEの使用は、推奨度ランクBに分類され、数時間留置して安全を確保するように勧告されている。
しかし、気管チューブ抜管後のTE留置は、患者の咳反射を誘発するなどの欠点がある。このため抜管後の喉頭浮腫が発生しやすい時間帯だけをクリアーすれば事足りることが多いために、30分~1時間程度の留置に止める施設が多いようである。このような考え方に基づいて、わが国でも一部のICUではTEを抜管時のルーチンとして使用している(島根大学医学部ICU他)。彼らによると、ごく僅かな量の鎮静剤の併用で患者はほとんど苦痛を訴えないという。
本件でも、TEを使用すれば極めて早期に再挿管が可能になり、トラブルを回避できた可能性があると推測する。ただし、極めて高度な浮腫が存在する場合には、TEを使用しても確実に再挿管ができるとは言い切れず、緊急気管切開の準備を怠ってはいけないと考える。
4)抜管前のステロイド投与と抜管後エピネフリン吸入
抗浮腫作用のある副腎皮質ステロイド剤投与に関しては、気管チューブ抜管に際して単回の投与では効果がないとする報告が多く、推奨度は低く考えられていた。しかし、2007年に非常に有名で権威ある科学雑誌のLancet誌に以下の論文が掲載されて、抜管前のステロイド投与法が大きく変わった。すなわち、36時間以上人工呼吸(気管挿管)された症例を対象に、抜管12時間前から抜管まで4時間おきに副腎皮質ステロイド剤のメチルプレドニゾロン20mgを経静脈的に投与すると、喉頭浮腫の発生が有意に減少(3%vs22%,p<0.0001)し,再挿管の率も半減(4%vs8%, p=0.02)したと報告された。この報告以降、多くの施設において長期気管チューブ留置例に対して、この方法に準じたステロイド剤投与がルーチンに実施されるようになっている。
一方、L-エピネフリンのネブライザー吸入も抗浮腫作用を発揮するとされるが、その効果については懐疑的な意見が多いが、ストライダーを認めた場合にその場を凌ぐひとつの対策として使用されることも少なくない。
したがって、本件でも抜管時間を事前に予定し、その12時間前から4時間おきのステロイド剤投与を計画することによって、喉頭浮腫の発生を回避できた可能性がある。あるいは、もし喉頭浮腫が発生してもその重症度を軽減し、気道閉塞に陥るまでの時間を延長し、適切な対処ができる時間を大きくできた可能性が存在すると推測する。
そして、自発呼吸がある程度維持される時間的な余裕があれば、L-エピネフリンのネブライザー吸入も実施でき、その効果を発揮できた可能性があると考える。
5)抜管前の酸素化
全身麻酔の導入に際して十分な酸素化(100%酸素で換気する)を実施することが勧告される。十分な酸素化を実施して体内酸素貯蔵量を増加させた場合には、全くの無換気状態になっても動脈血の酸素飽和度は健康成人では約5分程度は低下しない。つまり、挿管前に十分な酸素化を実施しておくと、挿管困難症に遭遇した場合に、気管挿管に手間取って無換気状態が長くなっても、患者が低酸素血症に陥る危険性を軽減できる。
このことは抜管時でも同じであり、喉頭浮腫が疑われたり、挿管困難で再挿管が疑われたりする場合には、抜管前に十分な酸素化を図ることが推奨される。ただし、純酸素で換気することには不利益な面もある。吸収性無気肺が発生する危険性や高濃度酸素吸入によるフリーラジカル発生など欠点も指摘される。しかしながら、短時間の酸素吸入では大きな障害が発生するわけではなく、上気道閉塞時の低酸素血症の発生を遅らせて、危機を回避する時間を稼ぐ方が、高濃度酸素の不利益に十分に勝ると考える。このような観点から、麻酔科医や集中治療医の多くは抜管前に一定時間だけ吸入酸素濃度を100%に設定する施設が多い。前出の英国のガイドラインでも推奨度はランクDではあるが、一応は推奨されている。
本件でも抜管前に吸入酸素濃度を35%から100%に10~20分程度上昇させることで、抜管後すぐに認められたSpO2の低下を若干でも遅らせることができ、心停止に至る時間を延長できた可能性があると推定する。しかしながら、本件カルテ記載には純酸素で換気した記載を発見できず、上記の対応はなかったと判断する。
【3】緊急気管切開への対応
冒頭に述べたように、上気道閉塞は呼吸管理上の最大のリスクであり、医療機関内で呼吸管理に携わる場合には常にその対応を準備すべきであると考える。DAM実践セミナーを企画する島根大学医学部集中治療部の野村岳志氏は“Airway is always priority”という。すべての気管挿管患者には抜管後の喉頭浮腫のリスクがあり、喉頭浮腫の存在を疑わせる場合には、常に緊急気管切開までを考慮のなかに入れておくべきである。とくに、体外循環(血液吸着)を実施した重症患者、長期気管チューブ留置患者、挿管困難患者、浮腫を来たしやすい病態を有する疾患などでは喉頭浮腫のリスクがさらに高くなることが予測され、慎重の上にも慎重であっても過剰に慎重であるとは言えず、直ちに緊急気管切開が実施できる体制を常日頃から準備しておくべきである。
1)抜管から再挿管決定まで
本件では10時30分に抜管して、3分後の33分に再挿管を決定している。この間の呼吸パターンの悪化傾向と交感神経の過緊張の進行度合いから、さらにもっと早期に再挿管を決定することが可能であったかもしれない。しかしながら、臨床現場における3分は決して長い時間とは言えず、再挿管を決定するまでの判断は大きく間違っておらず、また、再挿管の準備にも滞りはなかったと推測する。
2)再挿管時の鎮静処置
本件では、再挿管を実施するに際して、麻酔導入・鎮静に使用されるミダゾラム5mg(1/2A)が使用されている。このミダゾラム静注投与は、気道狭窄から気道閉塞に向かって危機的な状況に陥ろうとしている患者に使用する場合には、細心の注意が必要である。異常興奮などがあったためのやむを得ない投与であって、安易な使用ではなかったと信じたいが、ミダゾラムの投与によって努力性自発呼吸が減弱したり、消失したりする危険性があるほか、血圧低下が惹起される危険性もある。つまり患者が少々興奮していてもミダゾラムの使用は慎重に考慮されなければならず、可能ならば控えるべきである。
中枢神経系薬剤の効果に個体差が認められやすいことは、日常の麻酔導入時にしばしば経験することであり、通常では安全に使用できるミダゾラム5mgであっても常に安全とは言えず、とくに危機に遭遇している場合には油断できない。また、本件では基礎病態に薬物中毒があり、一般的にフォローされる肝機能データが正常であっても、薬物動態が正常化していない可能性もあると考えておくべきである。したがって、ミダゾラム投与によって換気停止が発生していたならば、気道閉塞に至る以前に換気停止状態に至っていた可能性も払拭できないことになる。
3)再挿管のトライ
本件では緊急気管切開が3回の気管挿管トライのあとになった。通常DAMのアルゴリズムではCICVに陥った場合に、経口的気道確保は最大でも2回のトライまでにすべきであるとされ、直ちに緊急気管切開に移行しなければならない。アルゴリズムが指示するのは「2回までトライする」ではなく、「最大でも2回まで」である。危機的状況と判断するならば、1回だけの挿管トライだけにして、緊急気管切開に移行するべきであり、3回目のトライはDAMのアルゴリズムから逸脱する。
4)緊急気管切開
病状説明の時系列記録によると10時37分に2回目がトライさているが成功していない。DAMのアルゴリズムに従うと、2回不成功に終わった時点で直ちに経皮的緊急気管切開に移行しなければならない。すなわち本件では、この時点でアルゴリズムから逸脱している。
そして、経皮的緊急気管切開キットが無い場合や上手くいかない場合には、直ちに外科的に輪状甲状靭帯を切開して気管チューブもしくは気管切開チューブを挿入しなければならない。本件では10時41分の時点で病棟にない緊急気管切開キットをすでに誰かに取りに行かせていると回答されるが、アルゴリズムに従うと、この37~41分の間に外科的な気管切開に移行していなければならない。
外科的な緊急気管切開に必要な物品は、メス(スカルペル:短い円刃刀)もしくはメス刃、鉗子、カフ付きの気管切開チューブもしくは通常の経口挿管用(細め:内径6mm~7mm)の気管チューブの以上であり、いずれも比較的容易に入手できるものばかりである。そして、その手技は次の4つのステップで完了する。
最近では3.4.をまとめる形で、チューブ先端を鉗子で掴んだまま、切開部から一気に挿入することも推奨される。そして、気管内に挿入されていることを低い圧の用手換気で確認してから、換気を開始する。準備があれば、手技実施の所要時間は1分以内である。
研修医が外科的な緊急気管切開の手技を修得するには、救急や外科でトレーニングするか、DAMのトレーニングセミナーなどで研修することになる。しかし、胸腔ドレナージや予定気管切開術などを日常的に実施する救急医にとっては、外科的な緊急気管切開は決して修得が難しい手技ではない。仮に担当医が未経験であったとしても、41分の時点ではすでに災害医療センターの常勤救急医2名が心肺蘇生に加わっており、外科的な緊急気管切開の必要性を誰かが認識していたならば、実施できたのではないかと想像する。
したがって、10時37分から40分の除脈が出現するまでの間に気管切開が完了して、換気が再開されていたならば、本件が心停止には至ってはおらず、中枢神経障害が合併しなかった可能性も存在すると考える。心停止に至る前の数分は、患者予後を大きく左右する重要な時間帯であり、1分、1秒をロスしないように上気道閉塞をシミュレーションしたトレーニングを平素に積んでおくべきである。
5)緊急気管切開の準備と上気道閉塞事故を回避する体制整備
本件では、経皮的緊急気管切開のキットが病棟になく、10時41分の時点ですでに取りに行くように手配していたことが回答書に記載される。経皮的緊急気管切開に要する時間を仮に1分とすると、52分に気管切開が完了して換気が再開されているので、約10分余の貴重な時間が経皮的緊急気管切開の準備に費やされたことになる。
回答書には、大腸内視鏡検査時を例に挙げ、心筋梗塞の発作と除細動器の準備について言及されている。しかし、この回答は弁護士の机上の理屈であり、良識ある医師の回答であるとは到底思えないし、そうでないと願いたい。
危険因子の有無にかかわらず救命に必要なものは準備されなければならず、除細動器が多くの公共施設には設置されていることは周知の事実である。院内であればなおのこと、どこであっても直ちに使用できるように準備されていて当然で、多くの病院で要所・要所に設置される。AED(自動除細動器)に関しては以下のような事実がある。
AEDを院外心停止症例に早期に使用することで心肺蘇生率が向上することが明らかになり、シカゴのオヘア空港をはじめとする3つの空港では、AEDをどの場所からも早足で1分ないし1分半で取りに行ける間隔で設置し、さらに空港内の各所でAEDの使い方のビデオを流したり、パンフレットを配布したしたりした。その結果、1999年6月から2001年5月までに空港内で発生した18人の心室除細動を必要とした傷病者のうち、目撃者のない心肺蘇生法と迅速なAED使用により、なんと11人(61%)が救命されたと報告された。おなじく、ラスベガスでも32のカジノが共同して、管内監視用のテレビモニターにより、倒れた人を見つけたら、すぐ近くの警備員に連絡し、警備員がAEDを持ってかけつけ除細動を行うようにした。その結果、心肺停止の傷病者105人中56人(53%)が救命され、驚異的な成果と報告された
鑑定人は、緊急気管切開キットはAEDと同様の概念で使用される器材であると考える。すなわち、いつでも直ちに使用できるようにしなければ、その効果は薄く、上気道閉塞に陥った患者を合併症なく救命できないという点で、AEDと同じ立場にあると考える。すなわち、稀にしか使用しない器材であっても、いつでも時宜を得た適切な使用が迅速にできるように日頃から準備されなければ、これらの器材は意味をなさない。具体的には、①直ちに使用できる場所に保管されていること、②どこにあるか全員に周知されていること、③適切に使用できる人的資源が常に準備されること、さらには④使用をアシストできるスタッフも準備されている、の以上4つの項目をすべて満たしておく必要がある。
本件では、10時47分に3度目の気管挿管がトライされていることから、緊急気管切開キットはこの後にベッドサイドに到着したことになる。トレーニングを受けたスタッフならば準備と実施を含めて2分以内に換気を再開できると考えると、50分に緊急気管切開の器材が到着した場合には、上記の③④の条件は当該施設では満たされていたことになる。しかしながら、①(あるいは②も含む)の条件は満たされていなかったと考える。
火災訓練が毎年実施され、BLS(一時救命処置)が2年ごとに更新されなければならないように、緊急気管切開も一定期間ごとにシミュレーション資材などを使用したトレーニングが不可欠である。当院でも医師向けに緊急気管切開実技講習会を実施するが、そのとき同時に看護師・理学療法士・臨床工学技師に気管切開の準備だけでなく、換気までのプロセスを同時に準備する訓練を実施している。実際に訓練を実施すると、ものの在り処が分からなかったり、蘇生バッグが準備できていなかったり、多くの不都合が一気に噴出する。このような取り組みは、現在では多くの施設でDAM実践セミナーなどの名称で開催され、広く受け入れられ始めているが、いまだに十分とは言えないことも事実である。したがって、準備に1分、施行に1分で完了するには、相応の準備と訓練が要求される。
すなわち本件では、緊急気管切開が準備を含めて10分余を要していために、気道閉塞への具体的な対処法が十分に現場のスタッフに認識されていなかったと考えざるを得ず、包括的な訓練も十分に行われていなかったと推測する。
さて、異物による窒息であれば、心筋梗塞と同じくまったく予期せずに発生するために、経皮的緊急気管切開キットとAEDは同等の関係であるが、本件患者は気管挿管されており、抜管後の喉頭浮腫と気道閉塞は、発生頻度が小さくても考慮されておくべき重大事項である。予期しない窒息であれば準備と実施に少々時間を要してもよいということにはならないが、予期される上気道閉塞では、遅れることがないようにすべきで、より迅速でより適切な対応ができるように準備すべきである。
看護業務には抜管時に再挿管の準備をすると明記されている。鑑定人は緊急気管切開についても抜管時に準備を怠るべきではないと考える。ただし、発生頻度の低い気道閉塞に対して、抜管時に毎回キットを開封して準備するまでのことは必要ないが、少なくとも上記①~④を抜管前に認識しておき、責任者は必要な器材・人材を掌握しておくことが必要と考える。
Ⅴ.おわりに
〇〇年〇月に〇〇市立病院で抜管後に喉頭浮腫によると思われる気道困難症で、気管挿管が迅速かつ適切に行われなかったために、本件同様に低酸素脳症で遷延性意識障害をきたすという悲惨な医療事故事件が発生したことが報道されていた。本件は僅かその9ヶ月後にその教訓を活かせないままに発生した。非常に類似した医療事故であるにもかかわらず、同じ〇〇地域で再び発生したことは、呼吸療法の事故を無くそうとして活動を続ける鑑定人にとっては非常に残念でならない。当該施設には今回の事故の問題点に真摯に向かい合い、その教訓を活かして事故の再発防止に取り組んでいただきたい。さらに、このような不幸な事故が他の施設で起きないように、貴重な経験をもとにわが国の呼吸療法の安全にも貢献していただきたいと切に願います。
Ⅵ. 鑑鑑定結果
1.喉頭浮腫および上気道閉塞のリスクは想定しうるものであったか
想定しうるものであったと推定する
2.喉頭浮腫および上気道閉塞に対して適切な対応を準備していたか
想定されていなかった結果、リスクを確認し、安全を担保する施策はなかったと考える
3.適切で時宜を得た気道確保、本件では緊急気管切開が適切で時宜を得たものあったかのか、否か
DAMのアルゴリズムに照らして、時宜を得た適切な対応ではなかったと推定する。また、緊急気管切開に対する考え方、および準備が十分ではなかったと推定する。
最後に、事実にもとづき、誠意をもって鑑定したことをここに宣誓する。
以上
平成23年1月7日
鑑定人 尾﨑 孝平